「聖なる者たち」 06.11.26
ローマ12:1〜21
「聖人」と聞いて、どのような人を想像するでしょうか。
国語辞典では「知徳が優れた理想的な人物」とありました。
教会でも、信仰的深い特別な働きをした人たちをそう呼ぶ
ことがあります。
しかし、ここに集う私たち一人ひとりも「聖人」に含まれています。
使徒信条に「聖徒の交わり」との言葉があります。「聖徒」は
「聖人」と同じで、教会に集う者のことです。
「聖」には、「神さまのもの」との意味があります。イエスさまの
十字架によって、私たちは神さまのものとしていただきました。
情けないところがいっぱいある私たちですが、十字架ゆえに
「聖徒」、「聖人」であることを信じて良いのです。
「自分を過大評価してはならない」と言われます。イエスさまの
十字架の恵みによって、罪赦され、救われ、神さまのものとして
いただいたのです。自らの努力によるものではありませんでした。
それを忘れて、おごり高ぶることのないようにとの勧めです。
同時に「過小評価」もすべきではありません。自分の小ささに
心を奪われて、まるで自分が救われないかのように思うべきでは
ありません。それは、イエスさまの十字架を見くびる罪です。
イエスさまの十字架の下に集まって礼拝をする私たちは、神さまの
ものとしていただいている幸いを心から信じて良いのです。
「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けにえとしてささげなさい」と
言われます。神さまに仕え、従うところに、聖なる者として、神さま
とのつながりを保つ生活が生み出されます。そのために「神さまの
教会を形作っている自分の場」を見つけていたいのです。
神さまが、担ってほしいと願っておられる奉仕の場が、一人ひとりに
備えられています。
しかしながら、私たちはイエスさまに従いきれない自分に出会う
ことがしばしばあります。
そのたびに十字架に立ち返れば良いのです。
「あなたを赦す」とおっしゃる十字架の主イエスに励まされ、
もう一度、一歩を踏み出す力と勇気が与えられます。